C01

■綿の歴史(世界)

 

紀元前5000

メキシコ

テワカン渓谷から綿布の切れ端が見つかる。

紀元前2600

ペルー

カラル遺跡から綿繊維とワタの種が見つかる。

紀元前2500

〜紀元前1800

パキスタン

インダス川流域モヘンジョダロの遺跡で栽培の痕跡(木綿の切れ端と紡錘車)が見つかる。

紀元前327

ギリシャ

エジプト

アレクサンダー大王の東方遠征。

(提督の日記に「インドには羊毛の如き実をならせる樹木が有る」と記されている)

インドから綿織物、種を持ち帰った。以降、エジプトで綿の栽培が行われた。

紀元前292

インド

ギリシャ人のメガステネスが「インドには羊毛が生える木がある」記す。『インド誌』

1〜2世紀

地中海沿岸

アラビア商人によってヨーロッパ(イタリア・スペイン)に綿/綿織物がもたらされる。

綿は地中海沿岸のみで栽培された。

世紀

スペイン

ムーア人(北西アフリカの人)木綿栽培法をもたらした。

10世紀

中国

伝来。

14世紀

朝鮮

中国・元朝に送られた使者が木綿の種子を持ち帰った。

16世紀

メキシコ

スペイン人が到着した時、原住民が綿花を栽培し、綿織物の衣服を着ていた。

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C02

■綿の歴史(日本)

 

平安時代

 

○平安時代(延歴18年:799年)、三河に漂着したインド系の崑崙人(コンロン人)が、綿の種を伝えたとされる。

 

『大日本史』

桓武帝ノ延暦十八年、一人ノ小船ニ乗リテ漂ヒ参河二至ルアリ。

布ヲ以テ背ヲ覆ヒ、犢鼻ヲ著ク。袴ナク、左肩ニ紺布ヲ著ケ、形袈裟ニ似タリ。

年二十ナルベシ。

身長五尺五分、耳長ク三寸余。

言語通ゼズ、唐人コレヲ見テ日ク、コレ完盲人ナリト。

ソノ人、後二中国語ヲ習ヒテ、自ラ天竺人卜謂フ。

常ニ一弦ノ琴ヲ弾ジ、許シヲ得テ所持ノ貨物ヲ売リ、屋ヲ西郊ノ外二作ルニ、路傍ノ行人ミナ停リテ息ヲ止ム。

ソノ人始メテ棉種ヲ持チ来タリテ、試ミニ紀伊、淡路、丹波、讃岐、伊予、土佐ノ国及ビ太宰府ニコレヲ植エシム」云々。(原漢文)

類聚国史(るいじゅうこくし)菅原道真編 寛平4年(892)を元に記されたとされる。

 

『古今要覧草本』(天保13年刊、屋代弘賢著)の「わたの部」

延暦19年(800)数ケ国に棉の種を賜りて、植えしむると云へども、土地の寒暖、肥痩によりて、栄と不栄とあるが故に、其地を選びて植付をなし玉ヘども、其中太宰府の地には繁茂せしにや、綿数万屯を調貢せし事、国史に見へ(中略)

弘仁8年(817)より、天長の初年(824)の比に至りては、草種の棉繁生せし故、年分官貢に、調貢の綿までも、数十百万屯に及びしと見へ(中略)

かかるにその後、漸々に年豊かならざりし事ありしによりて

ここに至り、次第に棉作減少し、元慶8年(884)太宰府年貢の綿十万屯、其内こ万屯は網を以て相転じ進之と見へしによれば、年々棉作の実り悪しくして、常数の調責なりがたきにより、網を以て綿に替へて奉りしなり。美ょり年々に乏しく、或は出来、或は不出来の年ありけれど、延書の主昌(90122)は、いまだ草綿も絶へずしてありしにや。(中略)

又諸国より綿を貢せし事。延喜主計式(禁中の年中儀式、百官の儀を著した書)に見へたり。いはゆる越中国(富山)はじめ丹波(京都)丹後(京都)因幡(鳥取)伯耆(鳥取)出雲(島根)岩見(島根)美作(岡山)長門(山口)紀伊(和歌山)土佐(高知)太宰府(福岡)筑後(福岡)豊前(大分)日向(宮崎)大隈(鹿児島)薩摩(鹿児島)などの二十一カ国より、調輪せしかど、太宰府と紀伊、土佐、石見等の国々は、綿も多く出来せしなり

・気候や地味が適さなかったのか、国によってはよく育たなかった。

・その中でも一番よく出来たのは太宰府(福岡県)だった。

 

衣笠大臣(きぬがさのおとど)

敷島の やまと(大和)にあらぬ 唐人(からびと)の 植ゑにし綿の 種は絶えにき

・鎌倉時代(土御門帝)の頃に詠まれた。

 

○愛知県西尾市の天竹神社が綿の伝来にまつわる伝説を伝えている。

 

外部サイト・・・天竹神社

http://www.e-tukemono.com/tenj2s.htm

 

 

○種の再伝来については、様々な説がある。

・明応・永正年間(14921520

中国又は朝鮮より伝えられたという説。

・天正11年(1583

ポルトガル人が豊後の藩主大友宗麟に贈ったという説。

・文禄 3年(1594

伝来という説。

・慶安 3年(1650

朝鮮人文峰が対馬の藩士国分某に贈った種が良質で、これが全国に栽培されるようになったという説。

 

 

室町時代

 

○綿の栽培は広まっていなかったが、木綿布が中国や朝鮮半島から入ってきた。

○有力な守護大名は、朝鮮に使者を派遣し「綿布」を求めた。

○武士たちの衣料、船の帆布、火縄銃の火縄などに使われていた。

○木綿はまだ、庶民の衣料素材ではなかった。

 

 

戦国時代

 

○はじめ頃(15世紀の後半)      日本での木綿栽培が広がり始めたとされる。

 

○おわり頃(16世紀の後半)以降   木綿栽培が広まり、木綿が庶民の衣料素材となり始める。

 

 

江戸時代

 

○近畿地方(大和、山城、河内、和泉、摂津)、瀬戸内地方を中心に木綿栽培と綿業(綿紡績・綿織物)が発展した。

○木綿が一般的な衣料素材となった。

 

 

明治時代〜現在

○1930年代(明治時代)、政策により綿布の生産が強化され輸出量が世界一となる。

○第二次大戦中(昭和16〜20年)、衣料繊維が不足したため、日本国内あちらこちらで木綿が栽培されていた。

○第二次大戦後、安価なアジア産の綿布に押されて生産、輸出が減少した。

○現在、統計上の国内自給率は0%となっている。

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