『農業全書』 “巻六の第一 木綿”
1600年代は、米の生産高が増え、人々の生活にゆとりが生まれたとされています。 野菜や茶、麻、楮などが、栽培に適した土地で本格的に生産されました。 それまで輸入に頼っていた木綿も、やがて国内で自給するようになります。 さまざまな農法や栽培品種の記録は“農書”というものに書かれました。 代表的なものに『農業全書』があります。 木綿のことは『農業全書』巻六の第一に記されています。 |
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木綿は昔、中国にもなかったが、近い昔、宋の時代に、南の国から種を取り帰った後に、中国で広まった。 日本にも100年以前にその種が伝わってきて、現在とても広まっている。 東西南北、どの土地にも適している。 その中でも、河内、和泉、摂津、播磨、備後、一般的に土地が肥沃な所で、綿を植えて、多くの利益がある。 したがって、五穀(イネ、ムギ、アワ、キビ、マメ:穀物の総称)をさしおいて、綿をたくさん栽培するところがある。 中国には木綿(きわた)と草綿(くさわた)の2種類がある。 木綿は大きさが一抱えぐらいもあって、その枝は桐に似て、葉の形はクルミのようである。 秋に花が咲き、実を付け、その実の大きさはこぶしぐらいだと、『本草綱目』に記されている。 現在栽培されているのは草綿だが、それゆえに木綿(きわた)というのであろうか。 しかしながら、木綿(きわた)はその効果が劣るとみえて、一般には草綿が栽培されている。 いろいろな穀物の次には、衣服の備えが必要なので、とにかく綿を栽培しなくてはならない。 昔、綿が渡って来ていない時代は、庶民はもちろんのこと、下級武士も絹の着物を着ることができず、麻布だけを着るものとしていたので、冬の寒さを防ぐことが難しくて、民衆は困り苦しんだ。 仁のある君主がいて、どうにか50歳以上の人が薄い絹を着ることができたが、それ以下の年の者はまだ着ることができなかった。 ここ近年は人口が増えて、蚕を飼うだけでは全ての人の衣服までには行き届かない。 幸いにして、綿が栽培されるようになって、山の中に住む人にまで綿の衣服をまとうようになり、これは天下の大切な財産と言える。 したがって、綿を栽培する方法を詳しく理解し、人々に不足しないようにすることは、上に立つ人が天の心に従い、人民を大切にする仁政の一端であり、国家の急務である。 そうとは言っても、近畿近辺では栽培法を身に付けてたくさん栽培しているが、京都から遠い国々では、今でもその栽培法は疎かで、十分作り出すことができず、その理由を土地と気候のせいにしていることが多い。 とりわけ綿は、栽培方法に詳しくないと実りが悪くなるので、その方法がどの農書にも詳しく記されている。 まず、種を選ぶことが第一である。 綿の種はいろいろあるが、その中でも[白花のかぐら]、[黄花のかぐら]は優れている。 これにもまた、黄色い花、白い花の二色がある。 また、赤わたの[大ごくび]と言うものもある。 これらの種は桃(実)が、葉と同じぐらいついて、分枝の葉の出るところから、蝶と言われる蕾がついて、種は小さく、くり(綿の毛)は特に多い。 このように、種によって実りは大きな違いがでるので、良い種を選んで求めて作らなくてはならない。 ただし土地によって、とりわけ適否があるので、よく考えなくてはならない。 赤綿の[のら]と言って、昔中国から伝わってきた種がある。 これはよく茂りよく大きくなるが、実が少なく綿毛も少ない。 また、[山城の麻わた]と言って、麻の葉に似たものがある。 これもまた、よい種である。 雑種もいろいろ多いけれども、利益が多いのはこれらの品種に限られている。 種子の貯蔵法について 植える時期について 八十八夜の五六日前に蒔くのが一番早く、八十八夜が過ぎて蒔くのが普通であり、それ以降は都合のつきしだい早く蒔いたほうが良い。 夏至の二十日前までは蒔いても大丈夫である。 遅く植えても木は大きくなるが、実が少ない。 秋に日差しが弱くなると、先端の実は吹ききらない。 また大風や秋雨が続くこともあっても、早蒔きのものは大方被害を免れることができる。 種を植える土地について あまり越えて深い柔らかい土を好まない。 たくさん茂るとあまり実はつかないものである。 たとえ実がついても落ちやすい。 とにかく砂が少しだけ混じり良質で粘土質の中程度の土地によく肥料をやり、手入れを小まめにした方が、収穫は大きいものである。 どんな土であっても、排水がよく、日照りの時に水を引くのが便利な所であれば、山中などの霧の深い土地を除いては、綿が作られない所はめったにない。山城、大和の山の中でよくできていることから分かる。尚、海辺や川端などの風がよく通り、日当りのよい所は、特に綿の栽培に適している。 また、綿は毎年同じ所に作ることを嫌う作物である。ただ、一二年、あるいは三年までは作ることができる。田の地味を選んで綿を栽培すれば、一二年は収穫が多すぎるほどあり、虫も付かない。その他、病気にもかからない。その後にまた稲を作れば、土地の性質が新しくなり、確実に二年分ぐらいの収穫がある。このように栽培すると、雑草も生えないし、肥料を多くやらなくても利益は非常に多い。 |
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